長崎のくじら食文化について
勝谷誠彦さん『血気酒会』第12弾
2014年6月12日、勝谷誠彦さん『血気酒会』第12弾ゲストで出演させていただきました。日本の鯨の食文化を多いに応援していただき、大変心強かったです。
ありがとうございました。
長崎のくじらは何故美味しいのか
鯨のまち、長崎であることをPRするこの、暖簾は、
長崎市内のあちこちの居酒屋さんの玄関先に飾ってあります。
実は長崎は、全国で一番、くじらを食べる地域。
くじらを余すことなく食べる日本の鯨食文化は世界でも類を見ない文化、
その中でも長崎が一番の消費率があるんです。ということは、世界一!?
でもその潜在的文化は今まであんまり知られてませんでした。
日野浩二:84歳、鯨とともに生きる人生を歩んできました。
長崎が裕福だったその昔の江戸時代は、長崎の五島列島、平戸、壱岐、対馬は
鯨の回遊が多い地域でした。
鯨は網取り式で、湾の中に追い込む方式で捕鯨をしていたので、
島の辺ぴなところがその地形に合ったんですね。
その当時の長崎のくじら組は500人規模の大企業で、それが35社ほどありました。
山口県では4社、高知では2社、和歌山県の太地でも2社ほどだったので、
当時の長崎の500人×35社=17,500人ほどが捕鯨の仕事をしていたわけです。
そして、平戸、生月、五島で捕獲された鯨は、船で彼杵港に水揚げされていたそう。
彼杵は当時、鯨の仕分け基地、流通センターでした。
鯨肉はそこから陸路、佐賀や福岡、大村、諌早、島原などに分配され
長崎は彼杵港の対岸の時津港を経て、浦上街道を通って運ばれました!
その当時の長崎は経済力が強かったので、一番美味しい良い部位が分配されていたので
その文化が今も根強く残っているのです。
「長崎に行けば、美味しいくじらが食べられる」
と言われるのは、こういう理由があるからです。
長崎県の鯨の1人あたりの消費量は全国で1位の年間197.5グラム。
(全国平均は44.7グラム、平成20年/共同船舶)と全国で最も多く、食文化が受け継がれています。
こんなに美味しい鯨、なぜ政治利用されているの?
「こんなに美味しいくじらを、なぜ捕っちゃダメになったんですか?」と
20代の若い女の子から疑問が上がりました。
これは、アメリカ×日本の戦争なんですね。と祖父は口を開きました。( ゚д゚ )
アメリカは、第二次世界大戦まで鯨油を取ってました。
でもその後、石油や植物性油脂を原料とする代替品が大量に製造され
鯨油が要らなくなってしまいました。
1970年代初め、アメリカはベトナム戦争の泥沼に入り込みました。
枯葉剤の大量投下と環境への壊滅的影響、反戦運動の盛り上がりと麻薬の蔓延、
脱走兵の続出等々、反米、反体制、反戦気運をなんとしても
方向転換させる戦略を考え出す必要があったのです。
その結果、作戦として自然保護が全面に打ち出されることになりました。
そしてその象徴としてクジラ保護に標準が定められ、
クジラは地球環境を守るためのシンボルとなりました。
自然保護に関してカリスマ性に富む多くの理論家、運動化が動員され、
それが1972年のストックホルム国連人間環境会議(地球サミット)の開催へとつながったのです。
国連会議では、アメリカの狙いどおりに捕鯨問題がメインテーマとなり
アメリカの提案による「商業捕鯨の10年間のモラトリアム勧告」が採択されました。
そしてその後は政治と金の問題ですね。
議員さんは、選挙で勝たせてあげるから、捕鯨反対してね♪と環境保護団体から言われたら
「うん、別に鯨はオレに関係ないしー選挙に勝ちたいしー」という成り行きです。
科学的根拠がない理由「クジラ絶滅論」
(クジラは増えてます!!絶滅するクジラは捕ってません( ゚д゚ ))や
クジラが可哀相・・・などの感情論などいろんな切り口で捕鯨問題はありますが、
実際は政治的材料にされてしまったのです。
また、アメリカと日本の税制の違いが大きいです。
なぜ反捕鯨の環境保護団体にあんなに寄付金が集まるのでしょうか?
なぜ、捕鯨船に体当たりしてくる、大きな船が買えるのでしょうか?
例えば、簡単に言うと、日本では100億儲けて、税金が30億としたら
寄付は残りの70億から出すことになりますが・・・・
アメリカは、100億儲けて、税金が30億としたら、その税金から10億寄付ができます。
税金の中から寄付金が作れるのです。
寄付をすると名誉が残りますし所得は減らないので、
寄付金が集まりやすい仕組みになってます。
また、企業が何か環境汚染をした際でも環境保護団体に10億寄付しておけば
環境問題は鯨に矛先を向けたままで、自分たちを守ってくれることになります・・・・。
世の中って金で動いてるんですか?ええそうですね?って悲しい現実です。
でもね、だからと言って、そうですね、で終わるわけじゃぁーないんですよ私たちは。
確かに大きな力や金や不当な圧力や権力によって、どうにもならないこともある。
でも日本国内日本人にPRできなかった甘さがわが国にあったわけです。
諸外国ばかりに対抗していた日本でしたが、
「つーかそれじゃいかん、国内でPRできてないやん!」
だからそれをバカにされてるやん外国から~!とやっと国は気づいたようです(;^ω^)
でもね、政治家や役人まかせにしていても始まりません。
どんな問題もそうだと思うけど、お上がやってくれるだろう・・という
他力本願な気持ちじゃいけないですよね。
変えていくのは国民一人一人の気持ちと行動です。
地味かもしれないけど、国内でPRできるように、少しずつでも私は努力する所存です。
私は負けません。
店長:日野寛子
日本の調査捕鯨と鯨肉を食べる機会について
<日本政府による調査捕鯨の鯨肉について>
南氷洋産、北西太平洋産のヒゲ鯨類は、日本政府による調査捕鯨の副産物です。
共同船舶株式会社が、船を出して調査に行ってます。
それでも日本全体の供給量は年間で3000トン。
3000トンと言えば、釧路でサンマが1日で漁れる量が3000トンです。
くじらは1年間でもたったそれだけしかありません。
そんな中、長崎県は全国1位の鯨肉を食べる町です。
長崎県の人口は約143万人、その中で600トン~700トンは食べていると思われます。
全体の約2~3割は長崎県民が食べている、江戸時代から続く食文化なのです。
しかし近年、反捕鯨団体による調査捕鯨の妨害により、予定通りに調査ができず
結果、副産物としての鯨肉も手に入りにくい状況となっております。
鯨は日本の食文化ではなく、一部の地域だけの食文化だ、と言われる声もありますが
何をもって日本の文化として言えるのか、を考えたとき、
ふと生活習慣を気にしてみてください。
お米と魚よりも、肉やパンをたくさん食べてないですか?
着物や浴衣よりも、洋服を毎日着てませんか?
時代の流れとともに、または諸外国との関係によって、自分たちの生活というのは
知らず知らずのうちに、いろんなものが外から入り込み、習慣となり、そして文化となります。
日本の文化というものを、どれだけ感じて私たちは生活していることでしょう。
戦後、貴重なたんぱく源として鯨肉が供給された時代がありました。
でも、それが牛肉などに代わり、日本人の健康と体を作った米と魚をあまり食べなくなってきました。
そして今、日本の自給率は約39%です。
日本人が、南氷洋で捕獲して五臓六腑美味しく食べれる技術を持ってるのは
全世界でも日本人だけだと思います。
将来、世界で食糧難が起こったとき、この技術は必要とされることでしょう。
そして最後に言いたいことは、
鯨肉を食べる人が居ない、のではなく、食べる機会が無い
鯨肉が余ってる、のは、 多くの人が食べる機会を見つけられないからです。
諸外国から圧力がかかると、企業は鯨肉を取り扱いたくても、販売ができません。
もちろん大手の外資系の企業は、鯨肉を置くことはできません。
また、鯨肉の価格が高くては、なかなか日常的に食べることはできません。
みなさんが目にする機会、触れる機会が少ないのに
なぜ、鯨の美味しさについて、または捕鯨問題を話すことができるでしょう。
当店が出来ることは、微力かもしれませんが、鯨の食文化を守り伝えていくこと。
ひとりでも多くの方に、くじらの美味しさを知っていただければ幸いです。
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